2010年10月16日土曜日

nervous

ちょっと面倒くさい話。

どうやらバンド活動が先細りにむかっている事は前に書いたが、正式に解散という話は出ていない。

しかし確実にメンバーの熱量は今落ちていて、バンドで演奏する機会は当分ほとんどなくなるだろう。パターン的にはどうでもよくなってフェードアウトってのはよくある話だよな…僕が思うにバンドとは厄介な生き物で、本気でやればやるほど輝きも放つが寿命も短い夏のセミみたい。

モチベーションを維持するには自分の情熱の他に自己肯定感が必要で、回りの評価は重要だ。

しかし世の中ほとんどのひとが自分が一番(あるいは家族)な訳で、価値観が多様化し娯楽が飽和した今、どこのだれとも知れないアマチュアの半端な自己表現なぞ知ったこっちゃないのである。

これは文句ではなくごく当たり前のことで、その壁を越えて他人から支持されるものとゆーのは明らかに普通の人にはたどりつけない突き詰めた何らかの輝きをもっていると思う。 そしてそれは他人が認めるべきものである。

表現をやりたいひとってのはよくも悪くも人一倍エゴイストで、色んな意味で大人になりきれてない人たちが多い。むしろそうでなくては出来ない面もあるし。だからつまんないことに苦しんだり、近視眼になりすぎてディスコミュニケーションになったりして…(笑)

認められるには第一義的には作品の良し悪しなんだろうけど、他にも方程式では解けない運命や人生の機微めいたものもあって難しいよね。僕の知り合いにも素敵なミュージシャンや絵描きが何人かいて、みなそれぞれ葛藤しながら生きてるんだけど、世に認知されているとは言えない。

友人のひとりが言った言葉で、印象的なやつがひとつ。

「一目でアカの他人の心をつかめるパフォーマーってのは、無意識的に自己愛をこえて人の本質を受け入れる包容(抱擁)力がある」

これはツボをついてると思った。まず自分を肯定できなければ本当の意味で他人を愛することは出来ないし、それは偏狭なエゴイズムとはちょっと違う。そして内なる衝動につき動かされた表現がメンタルや技術の高みに達してある沸点を超えたときに、自己愛はやがて回りに対する愛に昇華し、初めて他人になにかを感じてもらえるレベルになるもんなんだろう。

それは例えば切々と愛を歌うフォーキーなバラードでも、衝動にまかせてうねりを楽しむロックでも変わらない。

最後には結局、その人がもつ人間のオーラっつーか積み重ねた人生の本質みたいなものが伝わってしまうものなんだろーなー。

とりとめがなくなってきたが、やはり認められてないって事はなんか足りないって事で、認めてくれよって押し売りが一番カッコ悪いわけで、文章ではなく音楽や絵画を自己表現にえらんだのなら余計な注釈ぬきでそこで勝負しろよって自分にも思う。

そして出来ればそーゆう内なる葛藤を秘めつつ、回りの関わりある人たちに愛と信頼をもって飄々と接することができたらいいと思う。

「え? 俺はべつになんも考えてないっすよ〜♪( ´▽`)」

…って顔でね。



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